スタイルにこだわることは自分の生き方を狭くするということ。

ジークンドーはあらゆる形をとることができるように
無形を好み、
それ独自のスタイルをもたないから
全ての流儀を網羅しうる。


従ってあらゆる手段(技法)を使いながら
特定の手段に束縛されない。


逆に、その目的を果たすためには、
いかなる手段(技法)をも用いる。


目的とは、つまり勝者たることに他ならない。


ブルース・リー





人は生まれたときは真っ白ですが、
どんどん時間が経つにつれて
自分の考えが固まってくるものですよね。



飲み会のカラオケの場面。


みんなが盛り上がっているときに
「俺はカラオケ無理なんだよ。」
とか、
「私は盛り上がる曲歌えない。」
なんてことを言う人もいます。



個人的には別に歌いたくない人は
歌わなければいいんじゃないかな
って思います。



しかし、そんな子を見ていて
「私はできない」
って勝手に決めつけているんじゃないかな
って感じるものです。



自分とは○○だ。



といった固定したスタイルがなければ
【場を盛り上げて友達に楽しい気持ちになってもらう】


という目標に向けて、
自分も盛り上がって歌えばいいだけのことです。


変にとらわれてしまうから
歌えないという結果になるんだと思います。




カラオケなんてゆるーい話題でしたが、
宗教戦争だって根本は同じようなものかもしれません。
流儀にこだわり過ぎるから排他的になる
という側面もあることでしょう。



ブルースリーの言葉は
自己を解放させてくれるものが多いですね!