アパレル店員の甲高い声は、心の自由を奪われた姿

自由

私は海外で生活しているんですが、
日本に帰国したとき、違和感をおぼえるのが
店員の立ち振る舞いです。


とくにアパレルの女性店員さん。

「いらっしゃいまっせ~↑」

といった鼻につく甲高い声。

柳原可奈子の物まね通り。


完全に自分の個性を捨てて
店員の型にはまりきっていますよね。


同じ人間なのに
何だか気持ち悪いと思うのは私だけでしょうか?


型にはまりきってしまった生き方に対して
警笛を鳴らす
ブルース・リーの言葉がありました。


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一定の形式というものは、自由を妨げるだけ、
創造性を押しつぶすだけの表面的な制約であり、
平凡を意味するだけだ。

自覚の結果に生まれる自由は、
一定の形式に固執していたのでは得られないということを
覚えておかなければならない。

突然自由になるのではない。
我々はまったく自由なのだ。

         ブルース・リー

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私も含めて多くの人は、
歳を重ねることで
何かしらの社会的な役割をもつようになりますよね。


会社の社員であったり、
地域の役割だったり。
その社会的な役割のために、
自分らしさを失っていることはないでしょうか。


私の身近なところでは、
営業職に長年たずさわっている人が、
同じ年だとわかった後も
ひたすら敬語で話しかけてくるなんてことがあります。


完全に自分という存在が
営業職という型にはまってしまい、
仕事以外の時間でも
営業職という肩書というか型に
自分の心の自由を奪われているようです。


知識面でも同じことが言えます。


テレビでも本でも、
あらゆる情報が身の回りにはあふれています。


テレビ番組などの情報を鵜呑みにしてしまう。


素の自分が何を考え、
何をするのかというもっと根源的なこと
大切にしていないと
自分が何を感じて、何を考えているのかが
だんだんわからなくなってきてしまうのではないでしょうか。


型にはまることを良しとされてきた日本人は
個性を失いやすいはず。


だからこそ心にとどめておきたい
ブルースリーの言葉でした。