ごちゃごちゃ考えてしまいがちな人へ送る截拳道的な生き方~ブルース・リーの言葉より~
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彫像をつくるとき、
彫刻家は作品に粘土を加える一方ではない。
むしろ、邪魔なものが取り除かれて
真実が明らかにされるまで、
余分なものを削っていく作業を続ける。
截拳道とは、これ以上加えないことを意味している。
最小を目指すのだ。
要するに、無駄なものから後退するのだ。
「日々増加する」のではなく
「日々減少する」のだ。
芸術とはまさに自己の表現だ。
方法が複雑になり制限が多くなると、
人間本来の自由な感覚を表現する機会が少なくなってしまう。
テクニックは初段階では
重要な役割を演じるが、
当たり前のもののようになってしまったり、
複雑になったり拘束したりしてはならない。
テクニックに盲目的にしがみついていると、
しまいにはその限界に縛られてしまう。
あくまでもテクニックを用いているのであって、
テクニックそのものが目的ではないことを
忘れないように。
攻撃を付けた場合、
こちらの反応はテクニック1でも
態勢2でも3項でもG節でもない。
そうではなく、音とこだまのように、
思案したりせずただ動くのだ。
ブルース・リー
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歳を重ねるごとに
色々な社会的な役割が
ついてきます。
例えば普通のお兄ちゃんだった大学生が
銀行員になると
日常生活まで銀行員風になってしまう
なんてこともあるもんです。
私も教育関係で仕事をしていると
どうもそんな雰囲気が出がち。
そんなときは
ブルース・リーの考え方を
生きる参考にしています。
自分自身である。
色々な物事を見たとき、
社会的な役割、世間体、過去の記憶など
様々なことが影響して価値判断をしています。
そこをすっ飛ばして
自分は何を感じるのか。
自分は好きなのか?嫌いなのか?
もっとシンプルに物事をとらえる視点を
忘れないように心がけて生活しています。
こんなこと考えたら変だ。
こんなこと言ったら迷惑かも。
こんなこと言ったら変に思われないかな?
人間だから、こんな気持ちが浮かんでくるのは
当たり前ですが、
その気持ちにとらわれて行動していたら
本当の自分を見失ってしまいそうです。
だからこそ、
截拳道として余計なものをそぎ落としていく生き方をし続けていきたいと
考えています。
みなさんの生き方の参考になればうれしいです。