武術家というのは、たいてい忌まわしいほど頑固でしょう。
彼らの態度というのは、
「そもそも、二百年前にはこのように教えられていたのだ。
従って、これからも引き続きそのように教えられるべきである」
といった調子ですよ。
その手の態度を維持し続けるために、
古いやり方から抜け出せずにいるわけです。
彼らはこれからもタイムカプセルにこもり続けることでしょう。
そんな態度では、決して成長はありません。
学ぶことは発見する行為の1つだからです。
学ぶことは、絶え間のない発見をし続けることなのです。
私たちが古い方法に従えば、
何百年も前に伝えられたものを、
そのまま続けて繰り返すだけになってしまいます。
ブルース・リー
誰しも不安をもって生きています。
だからこそ、何か確かなものにすがりたいという思いが出てくるものです。
宗教もそうなのかもしれません。
人が生きる目的は自分で考え続けなければならないことですが、
考え続けることは辛いこと。
その辛いことを避けるためには
ある教祖の考えたことに従った方が安心感があるのかもしれません。
様々なスポーツでもそうでしょう。
テコンドー、空手、柔道・・・
様々なスポーツである体系が出来上がっています。
確かに初心者を一定のレベルにもっていくことが
容易になった反面、個人は個性を失い、
さらに技術に対して盲目になってしまっている感があります。
本当に蹴り方はこの蹴り方がベストなのか?
それは個人によって違ってくるものでしょう。
さらに追及していくものなのかもしれません。
人は学ぶことを止めたときに
退化していきます。
学ぶことは絶え間なく発見をし続けることであることを
ブルース・リーから学ぶことができました。
【関連】
⇒学問のすゝめ―人は、学び続けなければならない
⇒学び続ける力