人間的でも非人間的でもない生き方とは。



一方に生来の本能があり、もう一方には自制がある。
これらの調和を図らなければならない。

生来の本能のままであれば、
極めて非科学的になってしまうし、
その反対だと機械的な、
もはや人間とは呼べないものになってしまう。

私は両面がうまく融合するように教えようと努力している。
それは本当に自然でも不自然でもないものだ。

理想的な形としては、
不自然な自然さというか、
自然な不自然さというものになる。


                     ブルース・リー



人間的な生き方



この言葉は私が日頃から感じていた心のしこりの様なものを
ストレートに表現してくれるものでした。



時々、テレビでコメンテーターの方が
冷静な意見を述べてくれています。


その意見を聞きながら感じる違和感が
彼らから人間的な温かみを感じないということです。


冷静にデータに基づいて動くコンピューターが
人間の姿をして画面上で話しているような感じです。



ブルースリーの言葉を借りれば、
【機械的なもはや人間とは呼べないもの】
ということです。



そして、もう一方で違和感を覚えるのが
本能のままに発言している人です。


冷静な非人間的なコメンテーターと
情熱的な本能のままに話す芸能人との
やり取りを見ていると
どちらにも違和感を覚えるもの。



だからこそ、
ブルース・リーが言うように
人間的と非人間的の両面を
うまく融合するような生き方が
大切なのではと感じます。


科学的でもあり非科学的でもある。
機械的でもあり非機械的でもある。
本能的でもあり自制的でもある。


そんな生き方が大切なんだと思いました。