1962年9月。
21歳のブルース・リーは、 親しい友人Pearl Tsoへ 長い手紙を書きました。
そこには、 まだ世界的スターでも、 ジークンドー創始者でもなかった青年の 大きな計画が記されています。
まず武術学校を作る。
そして、 10〜15年かけて 全米へ広げる。
実際、 その後ブルース・リーは Seattle、Oakland、Los Angelesに 3つの学校を持つところまで進みました。
計画は、 順調に実現しているように見えます。
ところが、 ブルース・リーは その学校を自分で閉じてしまいます。
なぜ、 若い頃から追い続け、 実際に形になり始めた夢を 自分の手で壊したのか。
ここを追うと、 ジークンドーの本質だけではありません。
仕事。
勉強。
組織。
自分が長年信じてきた方法。
それらが本来の目的を邪魔し始めたとき、 どう判断するのか。
ブルース・リーの かなり実践的な生き方が見えてきます。
1962年|21歳のブルース・リーが描いた巨大な夢
Bruce Lee公式には、 1962年9月に書かれた Pearl Tso宛ての手紙の草稿が アーカイブされています。
Pearlは、 ブルースと近い年齢の家族ぐるみの友人でした。
その手紙でブルースは、 自分にとって功夫が 単なる護身術ではないと説明しています。
身体を鍛えるもの。
精神を鍛えるもの。
人格や思想を作るもの。
そして、 生き方そのもの。
だからこそ、 アメリカでそれを広めたいと考えました。
そして、 かなり具体的な計画を書いています。
“spread out all over the U.S.”
「全米へ広げていく。」
Bruce Lee「Letter to Pearl」1962 /日本語訳は当サイト
しかも、 単なる夢ではありません。
10〜15年 という期限まで設定していました。
頭の中には「5〜6階建ての武術学校」まであった
この手紙が面白いのは、 ブルース・リーの想像が かなり具体的だったことです。
当時の自分には まだ大きなものはない。
それでも頭の中では、 大きなGung Fu Instituteと、 全米へ広がる支部を 思い描いていました。
つまり、 後に書いた 「My Definite Chief Aim」と同じように、 若い頃から 未来を具体的に言語化する人 だったことが分かります。
重要なのは、 夢が大きかったことだけではありません。
期限を決め、 行動へ変えようとしていたことです。
そして本当に3つの学校を作った
これは、 紙の上だけの夢では終わりませんでした。
Bruce Lee Foundationの年表では、 1963年にSeattleで 最初のJun Fan Gung Fu Institute。
1964年にはOakland。
1967年にはLos Angeles Chinatownに 3校目を開設しています。
Los Angeles校のオープニング日は、 公式展示では 1967年2月5日 と記録されています。
1962年。
「全米へ学校を広げたい」と書く。
1963年。
Seattle。
1964年。
Oakland。
1967年。
Los Angeles。
ここだけを見れば、 21歳の計画は 順調に現実になっています。
普通なら、ここから「多店舗展開」へ進む
経営だけを考えれば、 次にやることは分かりやすいでしょう。
知名度が上がった。
生徒もいる。
教える内容がある。
ブランドもでき始めている。
ならば、 4校目。
5校目。
講師を育てる。
カリキュラムを標準化する。
教材を作る。
ライセンス化する。
全国展開する。
1962年の計画から考えれば、 それこそ自然な道です。
しかし、 ブルース・リーは 逆へ行きました。
ブルース・リーは3つの学校を閉じた
後年のインタビューで、 ブルース・リー本人は アメリカに3つ学校があったこと、 そしてその後それらを閉じ、 個人指導へ移ったことを語っています。
そのとき、 非常に強い言葉も残しています。
“I do not believe in schools.”
「私は『学校』というものを信じていない。」
Bruce Lee /日本語訳は当サイト
もちろん、 これは 「人から教わるな」 という意味ではありません。
ブルース自身、 葉問をはじめ多くの人から学んでいます。
問題にしたのは、 教える仕組みが固定された瞬間 でした。
なぜ閉じたのか|カリキュラムが「真理」になるのを恐れた
ブルース・リーが警戒したのは、 学校そのものより、 そこで教えられる 固定されたプログラムでした。
学校を大きくするには、 ある程度の標準化が必要です。
1週目はこれ。
2週目はこれ。
初級者はこの技。
上級者はこの技。
この順序で覚えれば、 ジークンドーが身につく。
経営する側から見れば、 非常に便利です。
しかし、 ブルース・リーにとって そこに危険がありました。
本来は学ぶための「カリキュラム」が、 いつの間にか 「これが正解だ」という教義へ変わってしまう。
そして、 生徒一人ひとりの身体や経験よりも、 システムを守ることが 優先され始める。
それは、 彼がジークンドーで 壊そうとしていたものそのものでした。
自分が作った「ジークンドー」まで固定したくなかった
ここが、 ブルース・リーを理解するうえで 非常に重要です。
ジークンドーは 1967年ごろに名前が生まれました。
しかし、 Bruce Lee公式は、 彼がその名称を付けること自体にも 葛藤していたと説明しています。
名前を付ければ、 理解しやすくなる。
同時に、 固定されやすくなる。
「これがジークンドーだ」 という形ができる。
人は形を覚える。
やがて、 形を守ることが目的になる。
自由を教えるために作った方法が、 新しい不自由になる可能性がある。
ブルース・リーは、 そこまで見ていました。
最初のジークンドーと、後期のジークンドーも同じではない
ここはマニアには 特に面白い部分です。
1967年に ジークンドーという名称が現れたあとも、 ブルース・リーの武術は 止まりませんでした。
ボクシング。
フェンシング。
Wing Chun。
フットワーク。
ウェイトトレーニング。
身体力学。
実戦経験。
さまざまなものを研究し、 不要だと思えば削りました。
つまり、
「ブルース・リーが1967年に教えていた内容」 = 「永遠に正しいジークンドー」
ではありません。
本人自身が、 さらに先へ進んでいたからです。
最大の矛盾|「全国展開する」と決めた本人が、それを捨てた
私は、 この話で一番好きなのが ここです。
1962年のブルース・リーは、 10〜15年かけて 全米に学校を広げると考えていました。
本気でした。
実際に3校まで作りました。
時間も使った。
労力も使った。
仲間も巻き込んだ。
看板もできた。
生徒もいた。
それでも、 途中で 「この形では違う」 と考えた。
そして、 止めました。
若い頃に立てた目標を守ることより、 今分かった真実を守った。
これは、 簡単なことではありません。
人は「ここまでやったから」で間違った道を続ける
私たちは、 一度時間やお金を使ったものを 捨てにくくなります。
3年間勉強したから。
この仕事を10年続けたから。
資格を取ったから。
高い教材を買ったから。
ここまでブログを書いたから。
みんなに宣言したから。
でも、 過去に使った時間は 戻りません。
本当に見るべきなのは、 これから先も続ける価値があるか です。
「昔の自分が決めたから」 は、 現在の自分が続ける理由にはならない。
ブルース・リーは「夢を諦めた」のではない
ここを間違えると、 この話の意味が変わってしまいます。
ブルース・リーは、 武術を人へ伝えることを 諦めたわけではありません。
むしろ、 映画。
個人指導。
文章。
インタビュー。
自分自身の身体表現。
別の形で、 さらに大きく伝えるようになります。
変えなかったもの
自分を表現すること。
人へ武術と考え方を伝えること。
成長し続けること。
捨てたもの
全国に学校を増やすという方法。
固定カリキュラム。
「これが正しいJKD」という形。
目的と方法を 分けていたからこそ、 方法を捨てられました。
これが「Be Water」の現実版でもある
「水になれ」という言葉を、 柔らかく生きようという 抽象的な教訓だけで終わらせるのは もったいないと思います。
ブルース・リー本人が 実際にやったことを見ると、 もっと厳しい意味があります。
自分が考えた計画でも、 固くなれば捨てる。
自分が作ったシステムでも、 成長を邪魔すれば捨てる。
自分の名前が付いた武術でさえ、 固定化させない。
「変われ」と他人に言ったのではない。
自分自身の成功しかけた計画まで 変えた。
Bruce Lee Foundationが強調する「個人が先」
Bruce Lee Foundationの 公式展示には、 ジークンドーについて 非常に重要な考えが紹介されています。
“The individual is of first importance, not the system.”
「最も重要なのは個人であり、 システムではない。」
Bruce Lee Foundation 「Bruce Lee: Martial Action」 /日本語訳は当サイト
システムは、 人間が作ったものです。
人間が、 システムのために 存在するわけではありません。
身体も違う。
性格も違う。
経験も違う。
目的も違う。
だから、 同じ型へ全員を押し込めれば、 誰かには合っても 誰かには合わなくなります。
仕事にも使える|「仕組み化」が正義とは限らない
現在は、 何でも仕組み化することが 良いとされがちです。
マニュアル。
テンプレート。
自動化。
標準化。
どれも便利です。
しかし、 ブルース・リーの話から 一つ注意点が見えます。
仕組みは、 目的を助けている間だけ価値がある。
仕組みを守るために 本来の目的が犠牲になったら、 順番が逆です。
教育なら、 「指導案どおり進めること」が 子どもの理解より重要になっていないか。
仕事なら、 「昔からこの手順だから」が 成果より重要になっていないか。
勉強なら、 「この教材を最後までやること」が 本当に身につけることより 重要になっていないか。
確認する価値があります。
「続ける力」と「捨てる力」は両方必要
ブルース・リーというと、 努力を続ける人というイメージがあります。
確かに、 その通りです。
しかし、 彼にはもう一つ 強い能力がありました。
捨てる力。
役に立たなくなった技。
古い考え。
固定された型。
そして、 かつて自分が本気で描いた ビジネス計画まで捨てました。
続ければ偉い、 というだけではありません。
続けるべきものを続ける。
捨てるべきものを捨てる。
この判断まで含めて、 自己鍛練です。
今の自分に使う|15分の「ブルース・リー式棚卸し」
この記事を 「へえ、そんなことがあったのか」 だけで終わらせないために、 一つだけ実践します。
紙かメモを用意して、 今続けていることを一つ選びます。
① 本来の目的は何だったか?
なぜ、 これを始めたのでしょうか。
② 今の方法は、その目的にまだ役立っているか?
「昔からやっているから」 を理由から外します。
③ 何を1つ削れば、もっと本質へ近づくか?
作業、習慣、教材、付き合い、 ルールなどから一つ選びます。
④ 方法を捨てても、目的を続ける別ルートはないか?
最低3案出します。
ポイントは、 いきなり人生を変えることではありません。
「続けるか、全部やめるか」 という二択から抜けることです。
目的は残して、 方法だけ変えることもできます。
「減らす」こともブルース・リーの成長だった
Bruce Lee Foundationの公式展示には、 ブルース・リーを象徴する もう一つの考えも紹介されています。
“It is not daily increase but daily decrease.”
「日々増やすのではなく、 日々減らしていく。」
Bruce Lee /日本語訳は当サイト
私たちは成長するとき、 何かを足そうとします。
本を増やす。
技を増やす。
資格を増やす。
仕事を増やす。
予定を増やす。
でも、 一定のところまで来たら 逆が必要になります。
何が本当に必要なのか。
何をやめれば、 自分の力が一点に集まるのか。
ブルース・リーが 学校を閉じた話は、 その巨大な実例とも読めます。
まとめ|自分が作った成功パターンさえ、壊せるか
21歳のブルース・リーは、 10〜15年で武術学校を 全米へ広げようと考えていた。
実際にSeattle、 Oakland、 Los Angelesへ学校を作った。
しかし、 ジークンドーが固定されたシステムへ変わる危険を感じた。
最終的に学校を閉じ、 個人指導など別の方法へ移った。
彼にとって重要だったのは、 学校というシステムではなく、 一人ひとりが自分を発見し、 自由になることだった。
普通なら、 夢を途中で変えることを 「ブレた」と考えるかもしれません。
しかし、 この場合は逆です。
方法を守るために 目的を失う方が、 本当の意味ではブレています。
昔の自分が決めたことに 忠誠を誓う必要はありません。
学んだ結果、 もっと良い道が見えたなら、 変えていい。
むしろ、 変えなければならないこともあります。
本当に強い人は、 間違った方法を長く続けられる人ではない。
自分の考えさえ更新できる人だ。
21歳のブルース・リーが描いた夢を、 約8年後のブルース・リー自身が 修正した。
私はそこに、 「Be Water」という言葉以上に 水のように生きた実物のブルース・リー を感じます。
主な参考資料
Bruce Lee公式
「#120 Letter to Pearl」
1962年9月のPearl Tso宛て草稿と公式解説
Bruce Lee Foundation / Google Arts & Culture
「Bruce Lee: Martial Action」
Seattle・Oakland・Los Angelesでの武術活動、
Stages of Cultivation、
学校閉鎖について語る1972年インタビュー資料
Bruce Lee Foundation
「Jeet Kune Do」
JKDの成立、Simplicity・Directness・Freedom、
Core Symbolについて
Black Belt
Jeet Kune Doの後期思想と
学校閉鎖に関するBruce Leeの発言を扱った資料
※学校閉鎖の細かな時期については資料によって表現に差があるため、
本記事では「1970年前後にすべての学校を閉じた」という大筋を中心に扱っています。

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