ブルース・リーの売れない時代|1967〜71年、ハリウッドで苦戦し香港から逆転した4年間

ハリウッドの閉ざされた扉を背に、香港の光へ向かって歩き出す若きブルース・リーを黒と金の映画的な光で表現したアイキャッチ

今では、 ブルース・リーと聞けば 世界的スターを思い浮かべます。

しかし、 彼の人生には、 驚くほど仕事がうまく進まなかった時期があります。

1967年から1971年。

Bruce Lee公式は、 この時期をリー一家にとっての 「lean years」、 つまり苦しい時期だったと説明しています。

『グリーン・ホーネット』で カトー役を演じ、 ついにハリウッドへ入った。

ところが、 番組は終了。

その後も小さな出演はあるものの、 自分が望むような主演への道は なかなか開きませんでした。

妻と子どもがいる。

生活もしなければならない。

そして途中には、 背中・腰の大怪我まで起こります。

それでも、 ブルース・リーは 夢そのものを捨てませんでした。

正面の扉が開かないなら、 別の入口を探した。

そして香港へ向かったことが、 結果的に世界的スターへの 突破口になります。

今回は、 成功したブルース・リーではなく、 まだ成功していなかったブルース・リー を見ます。

そこには、 仕事や勉強で停滞している私たちにも使える かなり実践的なヒントがあります。

1966年|カトー役で「成功した」と思えた

1966年、 ブルース・リーは テレビシリーズ 『グリーン・ホーネット』で カトー役を演じました。

ハリウッドへ進む 大きなチャンスです。

現在から振り返れば、 ここから一直線に 世界的スターへ進んだようにも見えます。

しかし、 実際には違います。

『グリーン・ホーネット』終了後、 ブルース・リーの俳優人生は 一気に不安定になります。

最初の大きなチャンスをつかむことと、 その後も成功し続けることは別だった。

これは、 現在の仕事でも同じです。

就職できた。

試験に受かった。

一度評価された。

一つの商品が売れた。

それだけで、 その後の人生が保証されるわけではありません。

本人は後に、カトー時代の自分を振り返っている

さらに面白い資料があります。

Bruce Lee公式Podcastでは、 後年のブルース・リーが 『グリーン・ホーネット』での 自分自身を振り返った考えが紹介されています。

当時25歳。

初めての大きな仕事だったため、 言われたことをこなすことへ意識が向き、 自分自身をどう役へ表現するかまで 十分に考えていなかった と振り返っています。

成功することと、 自分を表現することは同じではない。

これは、 かなりブルース・リーらしい自己批評です。

「あの仕事で有名になった」 だけで終わらない。

成功した仕事の中にも、 自分の未熟さを探していました。

1967〜1971年|公式資料が「苦しい時期」と呼ぶ4年間

Bruce Lee公式の長編伝記には、 はっきり書かれています。

1967年から1971年は、 リー一家にとって経済的に苦しい年月だった。

もちろん、 ブルース・リーが 完全に無職だったわけではありません。

1967年には 『Ironside』。

1968年には 『Marlowe』や『Blondie』などへ出演。

映画 『The Wrecking Crew』では 技術指導にも関わっています。

しかし、 本人が求めていたような 大きな俳優仕事へは つながりませんでした。

仕事はある。

しかし、 行きたい場所へは進めない。

この状態は、 意外とつらいものです。

完全な失敗なら、 諦める理由にもなります。

しかし、 少しずつ仕事があると、 「このまま続ければいいのか」 「方向を変えるべきなのか」 判断が難しくなります。

生活を支えたのは「もう一つの強み」だった

そんな時期、 家族を支えるために ブルース・リーが続けたのが ジークンドーの個人指導です。

公式伝記には、 生徒として次のような人物が挙げられています。

  • スティーブ・マックイーン
  • ジェームズ・コバーン
  • スターリング・シリファント
  • ジェームズ・ガーナー
  • カリーム・アブドゥル=ジャバー
  • その他ハリウッド関係者

ここは、 非常に現代的なヒントがあります。

ブルース・リーの 第一希望は俳優でした。

しかし、 俳優の仕事だけで 生活が安定しない時期には、 自分がすでに高い水準で提供できる別の能力 を使いました。

夢を諦めて生活を取ったのではない。

生活を支える能力を使いながら、 夢を追える時間を作った。

これは「副業をやれ」という単純な話ではない

ここを、 「ブルース・リーも副業していた」 だけで終わらせると浅くなります。

重要なのは、 能力の組み合わせです。

俳優。

武術家。

指導者。

脚本や物語を考える人。

身体表現の専門家。

一つが止まっても、 別の能力が働きました。

そして別々だった能力が、 最終的には 映画の中で一つになります。

強いキャリアは、 一本の能力だけで作られるとは限らない。

文章を書く人なら、 文章だけでなく、 取材、SEO、写真、編集。

教師なら、 授業だけでなく、 説明、資料作成、ファシリテーション、ICT。

一つの能力が停滞したとき、 隣にある能力が 次の道を作ることがあります。

それでも、何でも売ったわけではない

ブルース・リーは、 武術を教えれば さらに大きなビジネスへ 広げることもできました。

しかし、 公式伝記によれば、 学校を大量に展開すると 自分が求める指導の質を 維持できなくなると考えるようになります。

彼は、 武術を単なる商品として 最大化する道を選びませんでした。

収入は必要。

しかし、 自分の核まで安売りしない。

ここも、 仕事を考えるうえで重要です。

何でも収益化すればいいわけではありません。

短期的に売れる方法が、 長期的に自分の価値を 壊すこともあります。

売れない時代にも、ブルース・リーは止まっていなかった

外から見ると、 1967〜1971年は 「売れなかった4年間」です。

しかし、 中身を見ると 空白ではありません。

ジークンドーを研究する。

身体を鍛える。

本を読む。

文章を書く。

個人指導をする。

俳優として小さな仕事を続ける。

映画の企画を考える。

そして、 自分自身について考える。

結果が出ていない時期にも、 能力は作られていた。

これは、 後から成功者の人生を見ると 忘れやすい部分です。

成功した瞬間だけを見ると、 突然ブレイクしたように見えます。

しかし、 その前には 誰にも評価されないまま 能力を蓄えている時間があります。

さらに大怪我まで重なった

そして、 この苦しい時期に ブルース・リーは 背中・腰へ大きな怪我まで負います。

武術家として 身体を動かせない。

俳優としても 思うように成功していない。

家族もいる。

かなり厳しい状況です。

しかし療養中、 ブルース・リーは 読書と執筆を続けました。

身体を使えないなら、 頭を使う。

それまで身体で研究していた武術を、 言葉として整理する。

使えなくなった能力を嘆くだけでなく、 今使える能力へ重心を移す。

ここにも、 「水になれ」と同じ発想が見えます。

そしてブルース・リーは「入口」を変えた

決定的な転換が起こります。

Bruce Lee公式伝記によれば、 1970年、 回復途中のブルース・リーは 息子ブランドンと香港へ行きました。

そこで、 映画プロデューサーの レイモンド・チョウから 映画出演の話を受けます。

ブルース・リーは、 アメリカのスタジオへ 正面から入れないのであれば、 香港で実績を作って 別の入口から戻ればいいと考えました。

“front door” → “side door”

「正面の扉が開かないなら、 横の扉から入る。」

Bruce Lee公式伝記の記述をもとに当サイトが要約

私は、 この発想こそ この4年間でもっとも学ぶ価値があると思います。

目標と「入口」を混同しない

ブルース・リーの目標は、 俳優・映画人として 自分を表現することでした。

「アメリカのスタジオから成功すること」 そのものが 最終目的ではありません。

ここを分けたから、 香港へ行けました。

目的

映画を通して 自分の武術と思想を表現する。

方法

アメリカで役を取る。
香港で映画を作る。
別市場で実績を作る。

方法は変わっても、 目的は変わっていません。

夢を変えたのではない。

夢へ行くルートを変えた。

1971年|香港で状況が一変する

1971年、 ブルース・リーは 『ドラゴン危機一発』に主演します。

映画は香港で 大成功しました。

続く 『ドラゴン怒りの鉄拳』は さらに大きな成功を収めます。

そして 『ドラゴンへの道』では、 主演するだけではありません。

脚本。

監督。

製作。

武術指導。

それまで別々に磨いていた能力が、 一つの映画へ集まっていきます。

面白いのは「ハリウッドを諦めたら、ハリウッドが戻ってきた」こと

香港で実績を作ると、 今度はハリウッド側が ブルース・リーへ注目します。

やがて、 ワーナー・ブラザースとの 香港・アメリカ共同製作 『燃えよドラゴン』へつながりました。

Bruce Lee Foundationは、 1973年のブルース・リーを、 ハリウッド映画で主演した 歴史的なアジア系アメリカ人俳優として 位置づけています。

1967年。
ハリウッドで思うような役がない。

1971年。
香港へ行き、自分の価値を証明する。

1973年。
ハリウッドが再び彼を必要とする。

同じ人物です。

変わったのは、 市場から見た彼の証明でした。

ここから学べる「サイドドア戦略」

もちろん、 ブルース・リー本人が 「サイドドア戦略」という ビジネス理論を作ったわけではありません。

ここからは、 彼の行動を 現在の私たちへ応用したものです。

1.まず、本当の目的を書く

「今の会社で昇進する」 ではなく、

「どんな仕事をしたいのか」。

「この試験に受かる」 だけでなく、

「その資格で何をしたいのか」。

手段と目的を分けます。

2.閉じている「正面玄関」を特定する

努力不足なのか。

競争が激しすぎるのか。

今の市場では評価されないのか。

自分に足りない能力があるのか。

まず、 何が止めているのかを 具体的にします。

3.隣にある自分の能力を探す

ブルース・リーには 武術指導がありました。

自分なら何でしょうか。

  • 人へ説明できる
  • 文章を書ける
  • デザインできる
  • 動画を編集できる
  • 外国語が使える
  • 人をまとめられる
  • 専門知識を持っている

本命と少し離れた能力が、 次へ進む時間を 作ってくれる場合があります。

4.別の市場で小さな実績を作る

会社で評価されないなら、 社外で作る。

商業出版できないなら、 自分で発信する。

大きな仕事を任されないなら、 小さな仕事で結果を残す。

国内で通らないなら、 別地域や海外も見る。

評価されるまで待つのではなく、 評価せざるを得ない証拠を作る。

香港映画は、 ブルース・リーにとって その証明になりました。

5.うまくいったら、元の場所へ戻ってもいい

サイドドアへ行くことは、 逃げることではありません。

一度別ルートへ出て、 実力をつけ、 実績を作り、 元の目標へ戻ってもいい。

ブルース・リーが まさにそうでした。

今、停滞している人へ|30分でできる「横の扉」メモ

もし、 仕事や勉強が 思うように進んでいないなら、 紙を一枚用意してください。

① 私の本当の目的は何か

② 今、開かない正面玄関は何か

③ 私がすでに持っている別の能力は何か

④ 他に試せる市場・場所・方法は何か

⑤ 今週作れる小さな実績は何か

最後の⑤まで書いたら、 その中から一つだけ実行します。

人生を全部変える必要はありません。

横の扉を一つ試せばいい。

成功者の「結果」ではなく、「売れなかった4年間」を見る

ブルース・リーから モチベーションを得ようとすると、 鍛え抜かれた肉体や 映画の成功ばかりを見てしまいます。

でも、 私はむしろ 1967〜1971年の方が 参考になると思います。

結果が出ない。

生活費が必要。

小さな仕事しか来ない。

身体まで壊す。

それでも、 できることを続ける。

そして、 同じ扉を叩き続けるのではなく、 別の入口を探す。

“Be a practical dreamer backed by action.”

「行動に裏付けられた、 現実的な夢想家であれ。」

Bruce Lee公式「The Philosophies」 /日本語訳は当サイト

ブルース・リーの夢は 大きかった。

しかし、 夢を見るだけではありませんでした。

生活する。

教える。

学ぶ。

鍛える。

小さな仕事をする。

方法を変える。

別の場所へ行く。

そして、 チャンスが来たときに それを掴める状態を作っていました。

まとめ|「うまくいかない」は、終わりではなくルート変更のサインかもしれない

1966年、 カトー役でチャンスを掴んだ。

しかし、 1967〜1971年は 思うような俳優仕事を得られなかった。

家族を支えるため、 武術の個人指導を続けた。

その間も、 身体・武術・思想・映画を研究した。

大怪我まで経験した。

そして、 アメリカで正面突破できないなら、 香港から実績を作る道を選んだ。

その結果、 ハリウッドが再び彼を必要とした。

ここから私が学びたいのは、 単なる 「諦めなければ夢は叶う」 ではありません。

それでは少し雑です。

ブルース・リーがしていたのは、 もっと現実的でした。

目的は簡単に捨てない。

しかし、 方法には執着しない。

正面の扉が開かないなら、 横を見る。

別の扉を探す。

場合によっては、 一度まったく別の場所へ行く。

そして、 そこで力を証明してから戻ってくる。

行き止まりに見える場所は、 「夢を諦めろ」という意味ではなく、 「ルートを変えろ」という合図なのかもしれません。

1967年のブルース・リーには、 1973年の『燃えよドラゴン』は まだ見えていませんでした。

それでも、 今日できることを続けた。

そこに、 成功した後の名言以上に、 私たちが使えるブルース・リーがいます。


主な参考資料

Bruce Lee公式
「Bruce Lee - Long Bio」

Bruce Lee公式Podcast
「#57 Self-Knowledge」

Bruce Lee公式
「The Philosophies」

Bruce Lee Foundation
「About Bruce Lee」

Tuttle Publishing
Bruce Lee 『Letters of the Dragon』

※本記事では、後年の成功から過去を美化するのではなく、 公式資料で確認できる1967〜1971年の活動をもとに、 現在の仕事や学習へ応用できる部分を当サイト独自に考察しています。

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