ブルース・リーと聞いて、 ダンスを思い浮かべる人は少ないでしょう。
しかし実は、 若きブルース・リーは チャチャダンスのチャンピオンでした。
しかも、 ただ遊びで踊っていたわけではありません。
公式資料によれば、 108種類ものチャチャのステップを ノートに記録して研究していたといいます。
武術、ボクシング、映画、哲学。
そのすべてに全力で取り組んだブルース・リーらしさは、 ダンスにもすでに表れていました。
- 1958年:香港のチャチャ選手権で優勝
- 同じ1958年:学校対抗ボクシング大会でも優勝
- 研究量:108種類のチャチャステップをノートに記録
- 1959年:アメリカへ渡る船上でもチャチャを教えた記録がある
- 渡米直後:サンフランシスコでもダンスを教えていた
つまりブルース・リーは、 武術だけでなく、 ダンスもかなり本格的に研究していた 人物でした。
ブルース・リーは本当にダンス大会で優勝した?
はい。
Bruce Lee公式サイトでは、 ブルース・リーが1958年に Hong Kong Cha Cha Championship で優勝したことが紹介されています。
公式の「The Legacy」ページでも、 1958年の重要な出来事として 「Crown Colony Cha-Cha Champion」 になったことが記録されています。
つまり、 後から作られたファンの噂ではありません。
ブルース・リー公式側が 彼の経歴として残している事実です。
なぜブルース・リーがチャチャを踊っていたのか
1950年代、 チャチャチャは世界的に人気が広がっていた ラテンダンスでした。
香港でも若者の間で流行し、 ブルース・リーもダンスへ熱中します。
武術映画のイメージしか知らないと意外ですが、 若いころのブルースは 非常に多くのことへ興味を持っていました。
- 詠春拳
- ボクシング
- 映画
- ダンス
- 読書
しかも、 興味を持ったものを 少しだけ試して終わるタイプではありません。
ダンスも、 かなり深く研究していました。
108種類のチャチャステップをノートに記録
ここが、 いかにもブルース・リーらしいところです。
Bruce Lee公式プロフィールには、 ブルースがダンスを カンフーと同じくらい熱心に研究していたとあります。
そして、 108種類のチャチャのステップを ノートへ記録していた とされています。
ただ音楽に合わせて踊るだけではありません。
ステップを分解し、 覚え、 記録し、 繰り返す。
後に武術やトレーニングについて 大量のノートを残すブルース・リーですが、 若いころのダンスでも すでに同じ学び方をしていたことが分かります。
「才能」より先に、記録して反復していた
ブルース・リーというと、 天才的な身体能力ばかりが注目されます。
しかし、 108ステップをノートへ記録したという話を見ると、 少し違う姿が見えてきます。
見た。
覚えた。
記録した。
繰り返した。
そして、 自分の身体で再現した。
これは後のブルース・リーの 武術研究そのものです。
「才能があったからできた」 だけではなく、 学んだものを自分の身体へ入れるための方法を 若いころから持っていた とも考えられます。
1958年は「ダンス」と「ボクシング」の両方で結果を出した年
さらに驚くのが、 チャチャで優勝した1958年です。
ブルース・リーは同じ年、 香港の学校対抗ボクシング大会でも 優勝しています。
決勝では、 3年連続王者だったとされる ゲイリー・エルムスを破りました。
つまり18歳前後のブルースは、 一方ではリングで相手と戦い、 もう一方ではダンスフロアでチャチャを踊っていたことになります。
一見すると、 まったく違う二つの世界です。
しかし身体を使うという点では、 共通する部分もあります。
ダンスはブルース・リーの武術に役立ったのか?
ここは、 少し慎重に考える必要があります。
「チャチャをやったから ブルース・リーの武術が速くなった」 と直接証明できる資料はありません。
したがって、 そう断定するのは行き過ぎです。
ただし、 ダンスと武術には 身体操作の面で共通する要素があります。
- リズム
- 体重移動
- 足運び
- タイミング
- 身体全体の連動
そしてブルース・リーは後に、 ボクシングやフェンシングのフットワークも 積極的に研究しています。
チャチャを 「武術の秘密兵器だった」 とまで言う必要はありません。
しかし、 若いころから身体をリズムの中で動かす経験を 大量に積んでいた ことは、 ブルース・リーの身体歴を理解するうえで 面白い事実です。
ブルース・リーの動きが「軽い」理由
ブルース・リーの映像を見ると、 足を止めて構え続けるというより、 軽く動きながら 相手との距離を変えています。
もちろん、 これはチャチャだけで作られたものではありません。
詠春拳、 ボクシング、 フェンシング、 そして独自のトレーニング。
さまざまな要素があります。
それでも、 ダンスまで本格的に取り組んでいたことを知ると、 ブルース・リーが 「身体を動かすこと」そのものを 非常に広い視点で研究していたことが見えてきます。
18歳で香港を離れ、アメリカへ
翌1959年。
ブルース・リーは香港を離れ、 生まれ故郷のアメリカへ向かいます。
Bruce Lee公式サイトでは、 当時ブルースが持っていたお金は 100ドルだったとされています。
アメリカン・プレジデント・ラインの船に乗り、 サンフランシスコへ向かいました。
そして、 ここでもチャチャが役に立ちます。
船の上でもチャチャを教えていた
ブルース本人が1959年の船旅で書いた手紙には、 船内のバンドから チャチャを教えてほしいと頼まれたことが残されています。
また、 Bruce Lee Foundation提供資料を使った Google Arts & Cultureの展示でも、 アメリカへ向かう船の中で 乗客へダンスを教えていたことが紹介されています。
武術家ブルース・リーが、 船の上でチャチャを教えている。
現在のイメージからすると、 かなり意外な光景です。
サンフランシスコでもダンスを教えた
アメリカへ到着したブルースは、 すぐに現在のような武術家として成功したわけではありません。
サンフランシスコで生活しながら、 ダンスを教えて収入を得ていた記録があります。
シアトルへ移る前の短い時期ですが、 ブルースにとってチャチャは 単なる趣味だけでなく、 実際に人へ教えられるレベルの技能でもありました。
それでも、やがてダンスから離れていった
その後シアトルへ移ったブルースは、 教育と武術へ力を注いでいきます。
Bruce Lee公式プロフィールには、 このころまでに 俳優やダンスへの情熱から一度離れ、 学業へ集中したことが書かれています。
ワシントン大学では哲学を学び、 同時に武術を教え始めました。
そこから、 Jun Fan Gung Fu Institute、 そしてジークンドーへとつながっていきます。
チャチャにも「ブルース・リー式」が見える
ブルース・リーの人生を見ていると、 分野が変わっても 同じ行動パターンがあります。
興味を持つ。
深く調べる。
細かく記録する。
繰り返す。
自分のものにする。
ダンスでも、 武術でも、 読書でも、 トレーニングでも同じです。
ブルース・リーの強さを考えるとき、 「どんな特別な才能を持っていたか」だけを見るより、 一つのことをどう学んでいたか を見る方が、 私たちの生活には参考になるかもしれません。
108ステップは、後の大量のノートにつながる
ブルース・リーは後に、 武術、 哲学、 トレーニング、 自己実現などについて 膨大なメモを残しています。
読んだ本にも書き込みを行い、 自分の考えをノートへ移していました。
その習慣が突然始まったわけではなく、 10代のころから 「学んだものを記録する人」だった。
108種類のチャチャステップのノートは、 その一例です。
ブルース・リーの読書と記録習慣については、 「超読書家であるブルースリーの向上心|約1700冊の蔵書と愛読書5冊」 でも詳しく紹介しています。
トレーニングでも同じように記録していた
ブルース・リーは、 トレーニングについても 実際のメニューをカードやノートに残していました。
何を何回行うか。
どんな運動を組み合わせるか。
自分の身体をどう変えるか。
こうした姿勢を見ると、 108種類のダンスステップを記録していた少年時代と 一本の線でつながります。
ブルース・リーのトレーニングについては、 「ブルース・リーのトレーニング方法|筋トレ・ランニング・腹筋を公式資料から解説」 でまとめています。
ブルース・リーは「武術だけの天才」ではなかった
ブルース・リーを知れば知るほど、 一つの肩書きだけでは説明できない人物だと分かります。
武術家。
俳優。
哲学を学ぶ学生。
読書家。
そして、 チャチャダンスのチャンピオン。
さまざまな分野を経験し、 その中から自分に必要なものを吸収していきました。
後にブルース・リーが追求した 「自分自身を表現する」という考え方も、 こうした幅広い経験の上に作られていったのかもしれません。
よくある質問
ブルース・リーは本当にダンス大会で優勝したのですか?
はい。 Bruce Lee公式サイトでは、 1958年に香港のチャチャ選手権で優勝したことが記録されています。
何のダンスが得意だったのですか?
チャチャです。 1950年代に世界的に人気を集めていたラテンダンスです。
108ステップというのは本当ですか?
Bruce Lee公式プロフィールに、 108種類のチャチャステップを ノートへ記録していたと明記されています。
ブルース・リーはダンスを仕事にしていたのですか?
本格的なプロダンサーとして活動したわけではありません。
ただし、 1959年にアメリカへ渡ったころ、 船内やサンフランシスコで ダンスを教えていた記録があります。
ダンスがジークンドーに影響したのですか?
直接的な因果関係を証明する資料は確認できません。
そのため 「チャチャがジークンドーを生んだ」 と断定するのは適切ではありません。
一方、 リズム、足運び、体重移動など、 身体操作という面で共通する要素はあります。
1958年にはボクシングでも優勝したのですか?
はい。 同じ1958年、 学校対抗ボクシング大会でも優勝しています。
まとめ:108ステップにブルース・リーの学び方が見える
ブルース・リーは、 1958年に香港のチャチャ選手権で優勝しました。
そして、 108種類ものステップを ノートに記録していました。
同じ年には、 ボクシング大会でも優勝。
翌年アメリカへ渡ると、 船上やサンフランシスコでも チャチャを教えています。
このエピソードから見えてくるのは、 「ブルース・リーはダンスもできた」 という雑学だけではありません。
興味を持ったものを、 記録し、 繰り返し、 自分の身体へ入れる。
後のブルース・リーを作った学び方が、 すでに10代のころから始まっていた。
108種類のチャチャステップは、 そのことを象徴する記録なのかもしれません。
若いころから世界的スターになるまでの ブルース・リーの人生を、 身近な視点からさらに読みたい方には、 妻リンダ・リー夫人の 『ブルース・リー・ストーリー』 も参考になります。
※本記事はAmazonアソシエイト・プログラムを利用しています。
主な参考資料
Google Arts & Culture / Bruce Lee Foundation「Bruce Lee: An Introduction」
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